カネミ油症被害者の提訴は、関係者の思惑から全国統一訴訟団と油症福岡訴訟団にわかれて提訴された。
全国統一訴訟は国を相手にしていたが、福岡訴訟団は時間節約を目的として国を外しカネカ・カネミ倉庫を相手とした。
和解終結後の認定患者に対してはカネミ倉庫は訴訟患者の和解条件と同様の取り扱いをしているが、医療費自己負担分の支払い、一律23万円の一時金、死亡時3万円の葬祭料の支払い。
全国統一訴訟は国を相手にしていたが、福岡訴訟団は時間節約を目的として国を外しカネカ・カネミ倉庫を相手とした。
和解終結後の認定患者に対してはカネミ倉庫は訴訟患者の和解条件と同様の取り扱いをしているが、医療費自己負担分の支払い、一律23万円の一時金、死亡時3万円の葬祭料の支払い。
鐘淵化学工業(カネカ)は新規認定患者約80人に対しては和解金300万円を支払っていない。理由として訴訟時に原告であった人だけを対象としてカネカに責任は無いとする条件で和解した為その後の認定患者への責任は無いとしている。
一方水俣病では、チッソと一部の患者家族との間で,いわゆる見舞金契約が締結されました。この見舞金契約はわずかな補償と引き換えに将来新たな補償金の要求は一切行わないという内容でした。
この見舞金契約は被害者の窮状と孤立に乗じて,被害者に無理矢理押しつけられたものといえます。この見舞金契約は,後の裁判(水俣病第1次訴訟熊本地裁判決)において,公序良俗に反し無効と断罪されました。
カネミ油症事件(カネミゆしょうじけん)とは、1968年に、ポリ塩化ビフェニル(PCB)などが混入した食用油を摂取した人々に障害等が発生した、主として福岡県、長崎県を中心とした西日本一帯の食中毒事件。油を摂取した患者からは、皮膚に色素が沈着した状態の赤ちゃん(いわゆる「黒い赤ちゃん」)が生まれた。胎盤を通してだけでなく、母乳を通じて新生児の皮膚が黒くなったケースもあった。この「黒い赤ちゃん」は社会に衝撃を与え、事件の象徴となった。学界でも国際会議で「YUSHO」と呼称され、世界的な関心を集めた[1]。
カネミ油症は、昭和43年10月に、西日本を中心に、広域にわたって発生した、ライスオイル(米ぬか油)による食中毒事件です。
事件の原因は、カネミ倉庫社製のライスオイル(米ぬか油)中に、製造の際の脱臭工程の熱媒体として用いられた、鐘淵化学工業(現カネカ)社製カネクロールが混入していたことでした。このため、ポリ塩化ビフェニル(PCB)や、ダイオキシン類の一種であるポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)等が、製品のライスオイル(米ぬか油)の中に混入しました。
症状は、吹出物、色素沈着、目やになどの皮膚症状のほか、全身倦怠感、しびれ感、食欲不振など多様です。こうした症状が改善するには長い時間がかかり、現在も症状が続いている方々がいます。
事件の原因は、カネミ倉庫社製のライスオイル(米ぬか油)中に、製造の際の脱臭工程の熱媒体として用いられた、鐘淵化学工業(現カネカ)社製カネクロールが混入していたことでした。このため、ポリ塩化ビフェニル(PCB)や、ダイオキシン類の一種であるポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)等が、製品のライスオイル(米ぬか油)の中に混入しました。
症状は、吹出物、色素沈着、目やになどの皮膚症状のほか、全身倦怠感、しびれ感、食欲不振など多様です。こうした症状が改善するには長い時間がかかり、現在も症状が続いている方々がいます。
原因の究明まで
患者発生の直前1968年春には、同社製の「ダーク油」を添加した配合飼料を与えられた鶏40万羽が変死していた[3]。1968年(昭和43年)6月7日に九大皮膚科に3歳の女児が痤瘡(にきび)様皮疹と診断され、8月には家族全員が同様の症状となって受診した。
1968年(昭和43年)10月18日、九州大学医学部に油症外来を開設して集団検診を始める[4]。
1969年、医学専門誌『福岡医学雑誌』60巻5号には、患者から生まれた死産女子の解剖結果が報告されている。そこでは、副腎皮質が奇形であったことが示唆され、性器の肥大・突出があったことも書かれている。
1969年(昭和44年)11月、食品衛生法第4条該当により廃棄を命じたカネミ油(廃棄分)503ドラムを販売したことを報告した[7]。
1971年、専門誌『産科と婦人科』8月号に患者の性機能に関する報告が掲載された。経血が茶褐色に汚くなったことや性ステロイドの減少が見られることをふまえ、「PCB中毒はあらゆる意味で女性性機能を障害すると考えざるを得ない」とまとめている。翌年、『福岡医学雑誌』63巻10号は「PCBには女性ホルモンを増強する作用がある」と報告した。
日本全国でおよそ1万4,000人が被害を訴えたが、認定患者数は2006年末現在で1,906人と少ない。うち、相当数が既に死亡している。家族が同じ物を食べて被害にあったにも拘らず、家族のうち1人だけが被害者に認定されるケースもあるなど、認定の基準が被害者には曖昧なものであった。
2004年9月、厚生労働省の所管組織である国の「油症治療研究班(九州大学医学部を中心とする研究グループ)」は、新たに血液中のダイオキシン濃度を検査項目に加えた新認定基準を発表した。また、自然界では、ダイオキシンに曝露したことの影響と見られる生殖器官の異常など動物の奇形も見られるが、直接の被害者が男性の場合、精子など遺伝子へのダイオキシン類による被害があっても、親から子へと胎内を通じて直接、子孫に影響があると考えられる女性とちがい、血中のダイオキシン濃度測定だけでは、世代を超えた影響は関知しえないという問題もある。
1970年、被害者らは食用油を製造したカネミ倉庫・PCBを製造した鐘淵化学工業(カネカ)・国の3者を相手取って賠償請求訴訟を起こした。二審では被害者側が国に勝訴し、約830人が仮払いの賠償金約27億円を受け取ったが、最高裁では逆転敗訴の可能性が強まったため、被害者側は訴えを取り下げた。この結果、被害者らには先に受け取った仮払いの賠償金の返還義務が生じることになったが、既に生活費として使ってしまっていたケースも多く、返還に窮した被害者の中からは自殺者も出るに至った。
提訴は、関係者の思惑から全国統一訴訟団と油症福岡訴訟団にわかれて提訴された。全国統一訴訟は国を相手にしていたが、福岡訴訟団は時間節約を目的として国を外しカネカ・カネミ倉庫を相手とした。和解終結後の認定患者に対してはカネミ倉庫は訴訟患者の和解条件と同様の取り扱いをしているが、医療費自己負担分の支払い、一律23万円の一時金、死亡時3万円の葬祭料の支払い。鐘淵化学工業(カネカ)は新規認定患者約80人に対しては和解金300万円を支払っていない。理由として訴訟時に原告であった人だけを対象としてカネカに責任は無いとする条件で和解した為その後の認定患者への責任は無いとしている。
2008年5月、「カネミ油症新認定訴訟」を福岡地裁小倉支部に提出するが、カネミ倉庫(株)の製造・販売した過失を認め、原告らがカネミ汚染油を摂取した為に、カネミ油症に罹患したと認めながら、「除斥期間により権利が消滅している」として、原告全員の請求を棄却した[10]。原告は控訴していたが、福岡高裁は2014年2月24日、一審判決を支持しこれを棄却。2015年6月2日に最高裁第三小法廷(木内道祥裁判長)が上告を棄却し、判決が確定した。
国内最大の食品公害とされるカネミ油症の患者団体と国、原因企業のカネミ倉庫(北九州市)による3者協議が2018年1月20日、福岡市であった。カネミ油症は今年で発生から50年を迎える。患者側はなお未認定の被害者が多いとして、認定基準の撤廃や見直しを求めた。
協議は被害者救済法(2012年施行)に基づくもので11回目。11の患者団体の代表、厚生労働省や農林水産省の担当者、カネミ倉庫の加藤大明社長らが出席し、非公開で開かれた。
3者によると、患者側は「(ダイオキシン類の血中濃度などで判定する)認定基準を撤廃し、カネミ油を食べたことをもって認定してほしい」などと要望。国は「基準は科学的知見によるものだ」と反論した。加藤社長は、患者側が求めている入院中の食費支給について「国に要望しているが現状では難しい」と答えた。
患者側は、油に混入したポリ塩化ビフェニール(PCB)を製造し、カネミ倉庫に販売したカネカ(鐘淵化学工業 高砂)も協議に参加するよう求める要望書を国に提出した。