Quantcast
Channel: 万博に向け不法投棄撲滅
Viewing all articles
Browse latest Browse all 194

[転載]不登校の始まり

$
0
0

舞台の始まりはは古都京都。古都と言うと少し堅苦しく思うかもしれないが下町育ちの私にはそういった感もまったくなく幼い頃育った。その町の集合住宅街に数年間住んでいたが、皆温かく未だ私の心の領域を少し占領する場である。

私が生まれ育ったのは元は大阪市だ。しかし私の父の職業の関係で各地に転勤を余儀なくされていた。その理由から物心付いてすぐに京都へと居を移したのである。その頃は私が小さすぎた為生まれ故郷が未だ”恋しい”、とか”寂しい”等は思いませんでした。

小学生になり学校へ行くようになってから4年、それまで私はいろいろな事があった…そう当時振り返れば思うだろう。悪い事から言えばいじめが多かった。加わった事もあり、また被害を受けた事もあった。本当はバカバカしい事等したくない、私が強ければ言えたかも知れないが子供社会では仲間が絶対。嫌われたりしたらグループを追放され仲間はずれは目に見えている。だから一言、怖かった。だがそのおかげで横社会での処世方を学んだ…様な気がする。

この頃まで学んだ知識、性格は後々役にたつ事となる。

舞台は再び移りー京を去り和歌山県へ。
そこに行くまでの間しばらく風邪をこじらせかなり酷い肺炎に2ヶ月近くかかり入院した。
その間のブランクのせいか県へ行ってから学力がついていけず段々と学校に行く事が億劫になってきた。それに付け加え転校生を何故か睨みをきかすグループからも目を付けられていて友達もいなく…。

当時の私の頭では計算不能の信号を出していたのでしょう…。耐え切れずに学校を行かなくなる…いわば不登校をこの頃生まれて初めてしました。通学路を行くふりをして、もらっているおこずかいで駄菓子屋に行き買い込み、秘密基地なる私だけの場所で時間を潰しまた帰宅する毎日。

しかし何時までもこれは通じません。近々学校の先生から電話があるに違いない…そう思うと苦しくなりました。けれども逃げてばかりでは解決にはなりません。そしてある時暴露しました。学校では私の事を「ヨソさん」と言ってのけものにすると。すると両親から少し怒られました。もちろん当時の私の思考からは想像しない良い方の意味で。「どうしてそれを早くに言わないの、そんなに信用が無かったの」と。

はっきりいってショックでした。子供からしてみれば物心付く前から幼稚園、保育園に通い自動的に小学校にいくものだから幼心に刑罰でもあるのかと思っていたのでそれはもう相当悩みました。それ以来家族会議で再び転勤が起こるまで私は学校に通わなくても良いようになりました。

そして念願の転勤がやってきた時私は既に大阪に引っ越していました。
私が物心付く前から出て行った大阪市にやっと帰ってこれたと言うわけです。

その後、親しい友人も出来て以来小学校へ徐々に行くようになりました。
後で知った話、小学中学校では義務教育だから欠席をしていても上に上れるのを後で知りました。
ただし、欠席日数をかかれた上内申書に響く事も覚悟の上でのお話。

-beginning class part times of non-school attendance- 
-TO BE CONTINUE-
諦めないで その悲しみを 裏切らないで その優しさを
ピュアな心は 砂金の砂漠 いつか貴方が飢えに苦しむ時 それが財となり 華となる
私達は金と言う名の植物 君が大華となり美しく咲き誇る事を 永久(とわ)に願い

転載元: 元不登校児、瞳子の受験生日記


Viewing all articles
Browse latest Browse all 194

Trending Articles